kamakapi 備忘録

思いついたことをぽつぽつと。残しておいたら役に立つかな?と思うことなどをごくまれに。

屏東霧台にて その6(結) 霧台からの帰路

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小学校のスクールバス。赤の斜線は百歩蛇をデザインしたもののように見えます。

そろそろ4時半の帰りのバスに乗るべく、バス停に向かいます。

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夕方になって小雨さらに濃霧となってきました。

そしてバスには人が大勢乗っているように見えます…

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発車15分前にして満員、なおかつすでに立っている人が二人。

あの坂道を立って揺られていくのかー。

まあ、仮にもっと早く来て座っていたとしても、乗客を見渡すとほとんどが自分よりずっと年が上のお兄様お姉様方だったので、席を譲っていただろうと思えば、同じことだっただろうと予想されます。

帰りのバスの横に、霧台郷内をまわるコミュニティーバスが停車していました。

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この「好茶」は八八風災後に新好茶村が集団移転した新新好茶村でしょうか。興味深いところですが日帰りで行くなら三地門を起点にしないと難しいでしょうか。あるいは宿泊するか。

そうこうしているうちにバス発車。れっつごー。どんとこい!激坂下り。

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霧台郷公所の北に位置する神山地区。ここも興味がある場所ですが今回は行けませんでした。特に霧台耶穌聖心堂、魯凱の人を模した作りの椅子など、いつか見てみたいです。

霧台耶穌聖心堂 - 天主教教堂 | Facebook

帰りの山道はほぼ急な下りのみ+濃霧という要因によって、車はスピードを抑えていたため危惧したほどは揺れませんでした。むしろ平地に入ってからスピードが上がり、それからの方がしんどかったくらいです。

水門からさらに学校帰りの高校生が乗り込み、車内密度はさらに高まりました。

それもあり、行きの車窓で見かけて気になった昌黎祠を見るために内埔で途中下車しました。

今回、屏東旅行にあたってメインの霧台については少しは予習してあったのですが、屏東の中心地については地図を見るくらいで何も下調べしてありませんでした。屏東のホテルに入ってから地図をみて「韓愈の祠があるのかーめずらしい。どこだろーでも中心地からは離れてるのかー」くらいに思っていたのを、期せずして行きの車窓から発見したのでした。

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向かって左は媽祖廟

埔まで来ると、潮州方面へ通じるバス路線もあり、屏東車站まで戻るバスの本数も増えます。内埔も他にもいろいろあるようで、ちゃんと調べて来ればよかったなと。

潮州から来たバスに乗り、無事に屏東中心部まで戻りました。

日本で下調べしていたときにはどうなることかと思っていましたが、無事に霧台へ行ってくることができました。

今回、時間的な制約で(というかツールド台湾観戦が主目的だったため)魯凱文物館のメインの部分を見ることができなかったし、神山集落も行くことができなかったし、愛玉も食べられなかったし、そして霧台のとあるお店でいろいろ話してくれた兄ちゃんにもう一度会いたいし、いつかまた行くことができたらなあと思っています。

次は天気のいい季節に。

…そのためには現実に戻って働かねば。

屏東霧台へ その5 霧台にて(後編)

教会を出て歩いてきたのと反対方向へ進むと岩板巷へ出ます。

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整備されたのは最近のようです。頁岩で作られた家屋が並び、歩道の両側も頁岩で整備されています。民宿やお店もあり、お店は平日のためか閉まっているところが多かったです。休日であればもっと賑やかなのでしょう。

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ピンぼけですが白いのは猪の骨。

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家々の壁面の彫刻は、装飾であるだけでなく意味合いのあるものらしい。

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屋根も石ぶき。

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省道台24線をはさんでこれまで来たのと反対側へ下りてみます。

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奥の、枝が橫に広がっている樹が桜花王。桜の盛りは過ぎていました。

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多くの家に十字架、そのほとんどが木製の十字架が掲げられています。

宗教・宗派は何であれ、台湾では人々の信仰心を実感することが多くあります。

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来た道を戻ります。整備された歩道のほとんどに壺があしらわれています。壺には百歩蛇。

魯凱文物館で見た説明によると、魯凱族に伝わる壺は公壺・母壺・陰陽壺の三種類あって、百歩蛇の文様は公壺だとか。

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新しいものはぴかぴか。

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小学校へ上がっていく道にあるものは比較的早くに作られたもののよう。土台はやはり頁岩。

再び小学校前の広場に出ます。

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ツールド台湾のゴールも近づき、人が集まってきました。

蜻蛉玉をモチーフにしたオブジェなのか遊具なのか(実際乗りこなしている人も見かけた)広場の中心にあります。

イベントということで、出店もありました。

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阿桃咖啡店, Hualan

阿桃姐さんの自家焙煎珈琲をいただきました。

阿桃姐さん曰く「日本がコーヒーを植えていって、それから飲んでいる。そのあと国民党がやってきて植えていったお茶は私たちの口には合わなかった」と。こちらが日本人であることを踏まえての言葉であるのでしょうが、そのようにおっしゃっていました。

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ほかにも紅藜小米酒を試飲させてもらいました。

このあと地元のお兄さん、日本語世代のおじいちゃん、ツールド台湾の撮影クルー集団(マレーシア人)とわいわい過ごしました。自分のコミュニケーション力のなさに愕然としつつ。語学力だけでなく、他者とコミュニケートする力は、どのようにして涵養するのでしょう。だれか教えて~

レースのゴールは残り150m地点で見ました。

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三地門から約20Km、一箇所の下りを除いて平坦なし上りっぱなしのハードなコースでした。NIPPO - Vini Fantiniの福島監督も「すごい坂やね、でも楽しいとこやね」と。後半はトレーニングしがいがあると意味でしょうか。台湾ナショナルチームのメンバ―もここで大会直前トレーニングをしていたようです。

この日、一般のサイクリストたちも大勢自走でやってきていました。

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↑この人は選手ではなく自走でやってきたサイクリスト。入山手続きはどうするんだろう。山友服務站で必要事項書くだけでいいのだろうか。

ゴールと表彰式を見て選手関係者も去ったあと、遅いお昼にしました。

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奥から竹筒飯・小米粽・吉拿富。吉拿富は包んだ葉ごと食べられます。香りがあっておいしかったです。

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こちらの外観撮り忘れました。お店の名前は「集樸果」台24線沿いにあります。

臺灣原住民族數位虛擬學校電子報 » 集樸果

屏東霧台へ その4 霧台にて(前編)

屏東霧台郷

海抜1000メートル近い、魯凱族の人々の暮らすところ。山を越えて東隣は台東。

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 集落の中心に小学校。

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休日であれば参観できるそうです。この日は木曜日だったのでここまで。

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壁面には魯凱族の象徴、百合。

小学校の隣は魯凱文物館。この日はツールド台湾最終日でゴールの設営中。

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柱は頁岩。百歩蛇や手を繋ぐ人々、実物はずっと鮮やかな色あいです。

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文物館の横の坂を上ると霧台郵便局があります。

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ポストの装飾が美しい。黄色と赤の三角形の連続は百歩蛇の図像化でしょうか。

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台湾で一番海抜の高いところにある郵便局だそうです。営業は火・金のみ。

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さらにを上ると頭目の家に出ます。その横の階段を上ると霧台基督長老教会。 

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当地の芸術家、杜巴男氏による建築。茂林國家風景區管理處 内の記述によると氏の生前最後の作品だそうです。

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エントランスの塑像は教会建設に尽力した魯凱の人々。写真が切れてますが丸太を引っ張っています。

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木製の十字架。

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椅子の側面の彫刻は魯凱族にとって重要な意味を持つ百合と壺。

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教会1階の窓から小学校の全景が見えます。

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山から霧が下りてくるのが目に見えます。曇りではなく霧。

屏東霧台へ その3-霧台まで

いよいよ霧台入山の検問所、山友服務站。

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ここでパスポートをチェックされるのか、少なくとも司機がバスから下りて

手続きするのかと思いきや、パスポートチェックもなく車はほとんど停車せず

タッチアンドゴー状態。

車内から写真を撮ってみるもこれが精一杯。

ここから本格的な山道が始まります。

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雨ではありませんが霧が濃くなっていきます。隘寮北溪が下に見えます。

 

 

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 一度下って谷川大橋を渡ります。2009年の八八風災で破壊された旧橋のあとに建設された立派な橋です。

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谷川大橋全景。

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山肌が露わになった土砂崩れの跡があちこちに見られます。八八風災の痕跡でしょうか。

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ボケボケですが霧台郷公所。あと少し。

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大武部落への分かれ道。大武部落は魯凱族の最も古い集落の一つとか。とても気になりますが、自動車・バイク・自転車など、自分の足がないと無理ですね。

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9時20分霧台到着。屏東車站を出て順調に進み約1時間30分で到着しました。

 

 

 

屏東霧台へ その2-屏東から三地門まで

2016年3月10日朝。7時25分。

 

屏東客運總站到着。切符売り場は開いてたので、お姉さんに「霧台まで」と伝えてみる。

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えっえっえっ、すんなり切符きたー!!

逆に動揺する自分に、お姉さんは「帰りは2便しかないから気をつけてね、

11時半と4時半よ。」と適切なアドバイスをくれました。

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途中の三地門より奥へは大型車は入山できないため、マイクロバスサイズの車です。

乗客は自分たち2人以外に約10人ほど。

 

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窓口で切符が買えなくても、車内で現金以外に、交通系ICカードも使えます。

帰りは悠遊卡を利用しました。

しゅっぱーつ~

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しばらくすると、紙が回ってきます。霧台へ入るための申請書です。

霧台までのバスの開通によって手続きが簡略化されたようで、車内で必要事項を

記入するだけです。

氏名・性別・生年月日・身分証番号・住所・連絡先(電話)番号を記入します。

住所連絡先は日本のもので大丈夫でした。また外国人だからといってパスポートの提示などは求められませんでした。(しかし念のため携帯した方がいいような)

 

…これで霧台への行き方を伝えるという当ブログの目的は達成されてしまったようなものですが、せっかくなので霧台での様子やら帰りの注意事項など、続けます。

 

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 途中、水門ターミナルでトイレ休憩がありました。(帰りはなかった)

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隘寮溪を渡ると

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三地門に入ります。

屏東霧台へ その1-霧台行き前日まで

屏東の霧台へ行こうと思い立ったのは、2016年ツールド台湾のコースが

発表されたとき。

最終ステージのゴール地点が霧台。

霧台ってどこだ?そもそも自力でたどりつけるのか?

ずいぶん以前の日本語のブログ記事を見ると「入山許可証」が必要とあったり、

しかしその後バスが開通して手続きが簡単になったとの記述もあったり、

正直よく分からない。

とりあえず、行けるところまで行ってみよう。

結論からいうと、霧台まで行けました。

今後、霧台へ行きたいという人がどれほどいるのか分からないけれど、

何かの参考になればと、その経過を記録しておくことにします。

 

霧台行きのバスが出ているのは屏東客運。

屏東汽車客運股份有限公司資訊網

しかし2016年3月初め時点、このサイトで時刻表を確認すると

一日三往復の霧台行きは休日のみの運行。ツールド台湾最終日は3月10日木曜日。

霧台までは行けないのか、途中の三地門であきらめるか…

 

前日の3月9日水曜日夜、車站で時刻表を確認すると、運行日の条件などはない。

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行けるのか…明朝7時45分にかけることにします。

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注:2016年3月半ば時点、上記屏東客運Webサイトの霧台行き時刻表を見ると

運行日条件の記号は消えており、毎日運行となっています。