屏東霧台へ その5 霧台にて(後編)
教会を出て歩いてきたのと反対方向へ進むと岩板巷へ出ます。
整備されたのは最近のようです。頁岩で作られた家屋が並び、歩道の両側も頁岩で整備されています。民宿やお店もあり、お店は平日のためか閉まっているところが多かったです。休日であればもっと賑やかなのでしょう。
ピンぼけですが白いのは猪の骨。
家々の壁面の彫刻は、装飾であるだけでなく意味合いのあるものらしい。
屋根も石ぶき。
省道台24線をはさんでこれまで来たのと反対側へ下りてみます。
奥の、枝が橫に広がっている樹が桜花王。桜の盛りは過ぎていました。
多くの家に十字架、そのほとんどが木製の十字架が掲げられています。
宗教・宗派は何であれ、台湾では人々の信仰心を実感することが多くあります。
来た道を戻ります。整備された歩道のほとんどに壺があしらわれています。壺には百歩蛇。
魯凱文物館で見た説明によると、魯凱族に伝わる壺は公壺・母壺・陰陽壺の三種類あって、百歩蛇の文様は公壺だとか。
新しいものはぴかぴか。
小学校へ上がっていく道にあるものは比較的早くに作られたもののよう。土台はやはり頁岩。
再び小学校前の広場に出ます。
ツールド台湾のゴールも近づき、人が集まってきました。
蜻蛉玉をモチーフにしたオブジェなのか遊具なのか(実際乗りこなしている人も見かけた)広場の中心にあります。
イベントということで、出店もありました。
阿桃姐さんの自家焙煎珈琲をいただきました。
阿桃姐さん曰く「日本がコーヒーを植えていって、それから飲んでいる。そのあと国民党がやってきて植えていったお茶は私たちの口には合わなかった」と。こちらが日本人であることを踏まえての言葉であるのでしょうが、そのようにおっしゃっていました。
ほかにも紅藜小米酒を試飲させてもらいました。
このあと地元のお兄さん、日本語世代のおじいちゃん、ツールド台湾の撮影クルー集団(マレーシア人)とわいわい過ごしました。自分のコミュニケーション力のなさに愕然としつつ。語学力だけでなく、他者とコミュニケートする力は、どのようにして涵養するのでしょう。だれか教えて~
レースのゴールは残り150m地点で見ました。
三地門から約20Km、一箇所の下りを除いて平坦なし上りっぱなしのハードなコースでした。NIPPO - Vini Fantiniの福島監督も「すごい坂やね、でも楽しいとこやね」と。後半はトレーニングしがいがあると意味でしょうか。台湾ナショナルチームのメンバ―もここで大会直前トレーニングをしていたようです。
この日、一般のサイクリストたちも大勢自走でやってきていました。
↑この人は選手ではなく自走でやってきたサイクリスト。入山手続きはどうするんだろう。山友服務站で必要事項書くだけでいいのだろうか。
ゴールと表彰式を見て選手関係者も去ったあと、遅いお昼にしました。
奥から竹筒飯・小米粽・吉拿富。吉拿富は包んだ葉ごと食べられます。香りがあっておいしかったです。
こちらの外観撮り忘れました。お店の名前は「集樸果」台24線沿いにあります。